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もうつぶやけない 1

コミュニケーション

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自分がどういうつもりでTwitterでつぶやこうとしているのかを考えると、もうつぶやくことはできなくなるなーって思うのです。

どういうつもりですか

自分がTwitterでつぶやこうとするとき、ふと立ち止まってこんなことを考えてみます。

自分はこのTweetをして、どんな風に思われたいんだろう?誰にみられたいんだろう?どんなことを望んでるんだろう?
Tweetをしたら、どんな影響を与えると思ってるんだろう?だれに影響を与えると思ってるんだろう?どれくらいの影響を与えると思ってるんだろう?

そして、そもそも自分はどうしてそういう風に考えたんだろう?
そんな風に考えていくと、恐ろしいことに気がつきます。

おれのことに限って話します。自分のTweetの奥に、「他の人に認められたい」とか「快適くんおもしろいって思われたい」とか「すごいなって思われたい」とか「特別扱いされたい」とか、そんな気持ちが、多くの場合に座ってることに気づきます。

書くことは傲慢です

「おれのことに限って話します」とか言いましたが、割と多くの人も心あたりがあるんじゃないかと思うのです。というのは、そもそも書くことは傲慢な行為だからです。「書くこと」とは、つきつめれば「おれだけが知っている正しいことを、それを知らない愚鈍な連中に教えてやる」ことだからです。ものすごく極端に書きましたけど、本質はそうです。
だから、自分のTweetの奥深くまで潜っていくと、自分の汚らしくてどうしようもなく子どもな動機・気持ちの存在に気づかざるを得ないのです。

Twitterでつぶやくのは、本来、傲慢で恥知らずな行為だと思うのです。それはつまり、自分がいかに傲慢で恥知らずなのかを垂れ流す行為です。

そう考えると、Twitterでつぶやくなんてマジむりです。

しかし、とっくにTwitter廃人になっちまったおれには、もはやどうしようもないですね。Twitterまじムリだけど、Twitterやめるのもマジむり。

卑怯で俗物です

ここまでのこと、自覚していなければもちろん俗物ですが、自覚していても俗物です。いったいどっちの方がより俗物なんでしょうか。とにかくおれはTwitterの@Kaitekiとして、自分がどうしようもない俗物であることを自覚した上で、俗物的Tweetを続けていくのです。
これはとても卑怯なこと。どこまでいっても卑怯で俗物。@Kaitekiの周りを卑怯が守って卑怯の周りを俗物が守って俗物の周りを卑怯が守って卑怯の周りを俗物が守って…

ここまで書いたことは、Twitterに限った話ではないですよね。Twitter廃人になったおれは、自分の傲慢さと恥知らずさを垂れ流す場をまたひとつ増やすことになる。自分がそういう恥ずべき俗物根性を晒していることを自覚しながら、毎日Tweetしていくのです。

今後もどうぞよろしくおねがいします。

人生を「半分」降りる―哲学的生き方のすすめ (ちくま文庫)

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