「私たちの知っているウェブの終わり」を知らないっぽい

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ウェブが終わるらしいです

この記事を読みました。
私たちの知っているウェブの終わり

いろいろな問題に関する記述が混在しています。この記事に書かれていることは以下の5つのことですね。

  1. 他者の提供したサービスを利用している限り、自分のコンテンツは他者に管理されてしまう
  2. 自分のコンテンツを社会的に意味のあるものにするには、他者の提供したソーシャルメディアを利用するしかない
  3. Facebook(ソーシャルメディア)はユーザーの情報や行動を収集している
  4. ユーザーがその方法と目的とを把握することは難しい
  5. 今後のWebは少数の巨大なメディアによって支配される

で、筆者は以上の5つを踏まえて、このままだとWebが終わる、といった趣旨の説明をしています。絶望的ですね。

おれには筆者が絶望的になる意味がよく意味が分かりません。筆者が順をおって説明した個別の問題がなぜ問題になるのかが分からないからです。

筆者によって挙げられてた5点の問題らしきものは、それぞれWebの人たちによってしばしば説明され、耳目を集めてきたトピックですし、それなりに重要な論点な気がします。ひとつひとつの問題について自分なりに見直してみたいと思います。

残念なことに、だらだら書いてたら長大になりそうな雰囲気が出てきたので、今回は上記の問題のうちはじめの1つのみを掘りさげます。

あなたのコンテンツはなに?

「1 他者の提供したサービスを利用している限り、自分のコンテンツは他者に管理されてしまう」

本当にそうなのでしょうか。他者の提供したサービスを利用していると、自分のコンテンツは他者に管理されてしまうのでしょうか。

ここで考えるべきことは、本文で述べられたサービス主体によって容易に削除されうるという「自分のコンテンツやデータ」が何かということだと思います。引用元ではこれについてくわしく示されていません。

Twitterを例にとれば、たしかにTwitter社がとち狂えば、おれたちがTwitterで貯めてきた数万のpostとフォロワーは消えるでしょう。しかしあなたにとってそれらは重要なコンテンツやデータではないのです。各時点でコミュニケーションをおこなっていることに価値があるソーシャルメディアにおいて、過去のpostにはあまり価値がないのです(全くないとは言いません)。

あなたにとって本当に重要なコンテンツやデータは、いわゆるソーシャルグラフです。Twitter上で構築してきた他のユザーたちとの関係性とあなたの信頼性です。だから逆説的にみえるかもしれませんが、Twitterにおいてはフォロワーも同様に重要なコンテンツやデータではないのです。あたりまえだけど、ソーシャルグラフはフォロー&フォロワーの関係だけを意味するものではなく、より抽象的な社会的関係性のことですから。

だからこそFacebookGoogle+でもかつてのフォロワーと友だちの関係でありつづけるという現象が発生するのですね。Twitterの人気ユーザーはFacebookに行ってもGoogle+に行っても人気ユーザーに成り得ます。おれは人気ユーザーではないけれど、TwitterFacebookGoogle+とで共通のユーザーがそれなりにいるし、自分でかつてのフォロワーを探したりお願いしたりすれば、ソーシャルメディア間での友だちの共通化はいくらでも進められるでしょう。

ソーシャルメディアを国家とか呼ぶの

もちろんあなたがTwitterでしか活動していなかったり、Twitter内のみでのソーシャルグラフを重要だというのなら、この問題は大問題になるでしょう。しかし他のソーシャルメディアを選択可能な現状でTwitterのみを選択しつづけることは、あなたの責任で選択した行動なので、サービス主体を問題視することはできません。

筆者は本文中で各ソーシャルメディアの利用者を「市民」とか「商品」と呼んでみたり、ソーシャルメディアを国家だと比喩したりしています。おれにはこれらの比喩の意味がよく分かりません(比喩を用いる意味もわかりません)。しかしもしソーシャルメディアが国家のように認識できるものだとしたら、国家の都合によって自分の「コンテンツやデータ」が失われうることも当然です。おれたちはいつ破綻するともしれない日本という国家に税金を払いつづけながら自分の人生を蓄積しつづけています。

むしろWeb上では国家間が海や山や壁といった交通を断絶するものに隔てられていたり使用言語が違っていたりしないため、他の国家に国籍を移したり多重国籍を得たりすることは容易だから、実際の国家よりもだいぶ事情はマシですね。自国が破綻しそうになったらまだ破綻しそうにない別の国に国籍を移せばオッケーです。

もっとふつうの言葉で説明すれば、ある商品を永続的に提供できないことはどんな事業者にとっても共通することだと説明できます。商品提供の非永続性がこれほどに問題視されるのは、その商品、つまりソーシャル・ネットワークのプラットフォームがあまりにも重要なように思えるからでしょう。そうであれば、商品を永続的に提供できないことのへの全責任と対処を企業に全て求めるのではなく、ユーザー側の自助努力もきっと必要になるのでしょう。電力が逼迫するとかいう人たちを助けるために「節電」してあげたように。

自分にとって本当に意味のある「自分のコンテンツやデータ」は他者に管理されていないし、他者に管理されているものは自分にとってどうでもいいコンテンツやデータです。安心してTwitter社やFacebook社には破滅してもらいましょう。