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「ネット上の世界」とモバイルコンピューティング

インターネットと人間生活との関係の変化はインターネットアクセスへの時空間的制約の解消の進行に伴うものだっていうこと,あまりにも基本的すぎてしばしば見落とされる.いまのインターネット社会,というか社会におけるインターネット利用はインターネットアクセスのワイヤレス化とモバイル端末の発展によるモバイルコンピューティングを前提としている.インターネットアクセスの時空間的制約の解消によるモバイルコンピューティングの進展とそれによる情報の量的・時空間的拡大がすごい.これは重大な基本的事実.いまのインターネット社会に表出する諸現象は全てモバイルコンピューティングを中心的な要素として説明できるといっても過言ではない.モバイルコンピューティングがマジ重要.インターネット上には重要っぽく演出された情報が大量にあるので本質を見失いがちだけど,モバイルコンピューティングは本質と言っていい.ソーシャル・ネットワークなんてどうでもいい.いまのソーシャル・ネットワークの本質もモバイルコンピューティングとして説明できる.まえがきが長い.

しばしば「ネット上の世界」的な概念がインターネットと人間生活との関係を論じる際に使用される.いろんな用語がある.オンライン世界とか仮想空間とか.英語世界だとサイバースペースとか,SF嫌いなひとはバーチャルワールドとか使う感じ,いずれも意味しているところは同じようなところで,「物質」の世界とインターネット上の世界との二元論が前提になってる.それで2つの世界を仮に想定して両方の世界が相互に関わり合っているみたいな見方がされてきた.

こういう「ネット上の世界」関連の概念がなぜ浸透したか,というか説得力があったかと言うと,それはインターネットへのアクセスが強い時空間的制約の元に置かれていたから.インターネットにいつでもどこでもアクセスできるわけでもなく,家や会社のデスクトップPCなりネットカフェなりでしかアクセスできなくて,場合によってはインフラや端末,ソフトウェアが貧弱なためにインターネット上での活動スピードは今よりも遥かにゆっくりだった.こういうアクセス状況だったから,ネット上の世界みたいなのがあって,特定の入口みたいなのが家とかに設置されているみたいな比喩が説得力を持った.だからたぶん当時はネット上の世界みたいなのはあったのかもしれないし,草薙素子が出てくる頭でっかちなアニメ映画みたいなイメージが現実的に通用したのかもしれない.

こんな感じの世界はつい5年くらい前まで普通だった.2008年7月11日まで日本にiPhoneはなかった(無論ほとんどの人にとって使いものにならないスマートフォンはあったが).でもいまは当たり前すぎて気づかないくらい,睡眠中以外は常にどこでもインターネットできるしインターネットしている.全ての隙間時間はインターネットに吸収されているという研究結果もある.こういうモバイルコンピューティング全開な現在のインターネット利用形態では,ネット上の世界という比喩に説得力はなくなっている.いまは「物質」の世界が優勢で,というかネット上の世界が存在しないんだから世界は現実にひとつしかなくて,インターネットに関する諸現象の背景にある要素≒「物質的」要素がどういうものなのかが考えられてきた.「ネット上の世界」概念に代わって,われわれはモバイルコンピューティングによってインターネットというネットワークから情報(情報社会において,場合によってはそれを力とよぶ,さらにそれを特別にコミュニケーション・パワーと呼ぶ人もいる)を得て,利用している,あるいはネットワークを通じて情報をやりとりしている,という見方をされている.とにかく「ネット上の世界」は存在しない.「リアルとかバーチャルとか言うけどどっちもリアルなんだよ」っていう言説は真実っぽくみえるが,あるいはモバイルコンピューティングへの過渡期にはある程度真実を含む見方だったかもしれないが,いまはそもそも「ネット上の世界」が存在しないので全てが現実であり,どっちがリアルなのか,とか,どっちもリアルなのだ,みたいな問題は発生しない.

社会の中のインターネットはめぐりめぐってARPANETぽくなってきた.それは90年代以降のインターネットの商用利用すなわち一般への急激な浸透による,インターネットに対する冷静な観察の不足が,着実に克服されてきた結果と言っていいと思う(しかしそれはまだほとんど一般に還元されていないように思う).ここはブログなので適当なことしか書いてないけど、さらに極めて適当なこと書くと,インターネットは根本のコンセプトがコンセプトなので,国際政治とグローバル経済に強く影響されながらも,なんだかんだでその構造は本来のコンセプトにそいつづけると思う.むしろ社会が,っていうか自分たちがインターネットをどう見るか,っていうインターネットへのまなざしが,インターネット以外の様々な要素からなる(世界にあるインターネット以外の様々な要素なので当然めちゃくちゃたくさんの要素がある)プリズム(PRISMとか)によって歪められ,インターネットを誤認してしまうことの方が問題としては深刻だと思う.インターネットは放っておいて個人の問題に注力した方がいいと思う.しかし個人の存在しない日本社会にそれは困難かもしれない.精神的田舎者の全体主義っていう強固な集団サディズムの処理が日本のインターネットの最大の課題かもしれない.