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個人情報に関するメモなんで

 個人情報とかプライバシー,問題視されるのが個人情報の「流出」という局面ばかりっぽいところに違和感あるっぽいことに気づいた.個人情報やプライバシーの話題,なんか全体が噛み合ってないというか,話が上滑りしているような,あるいはなんというか現実感がないというか,現実に対して話がデカいような気がするなと思っていたけど,なんでそうなるのかよくわかんなかった.

 個人情報をめぐるプライバシーの問題には,あるいは,というかよく概念整理してないからどう言葉で表現すべきかわかんないんだけど,あるいは,個人情報をめぐって個人のプライバシーが脅かされる局面っていうにのは,個人情報の「流出」だけじゃなくて,「収集」と「使用」っていうのある.むしろ,個人情報やプライバシーの本質は,流出よりも収集と使用の局面にあるんじゃないかという気がしてるっぽい.個人情報やプライバシーっていうのは,言うまでもなく個人がもっているもの,ないしは個人そのものであって,われわれ個人は企業とかお役所とかがどうしてもっていうから仕方なく,一定の範囲内でしかるべき手順でのみ,個人情報やプライバシーの一部を,テンポラリーな形でつかわせてやっている,貸してあげてるだけでしかない.それなのに企業とか役人ごときがそれを逸脱して好き勝手に個人の情報やプライバシーをいじくりまわすのは,個人を尊重していないので,決して絶対にマジで許されない.本来「個人情報が流出した」っていうのは,「企業や役所からどこかへの流出」よりも,「自分から企業や役所への流出」の方が,個人情報や個人としては問題だし,悪なのだと思いつつある.

 これ多分,企業や国家と個人との関係をどうとらえるかの問題とリンクしていて,たとえば企業や国家と個人とではどちらが優先されるかとか,どっちがエライかとか,どっちがどっちを縛っているのか,監視しているのかっていうのに対する認識がかみあわないと,個人情報をめぐるプライバシーの問題も話がかみあわないのではと思う.むろん,企業や国家と個人とでは,個人が優先されるべきだし,個人がエライし,個人が企業や国家を縛ったり監視したりしてるんだけど,個人は必ずしも尊重されなくて,こういうのは容易に建前化されているし,また言うまでもなく,いまの日本語社会は企業や国家と個人との関係は逆になりつつあって,企業や国家が個人を優先しないし,個人はエラくないし,個人を縛ったり監視するのが,当たり前だよねみたいな方向に動いている.なので,そもそも企業や国家が個人から個人情報を流出させているよねっていう,個人情報の「収集」と「使用」の局面における問題が見すごされやすいのかもしれないなどと思った.

 こういうの考えるきっかけになったのはスノーデン問題みたいなやつで,シリコンバレーのIT企業は利用者すなわち個人からガンガン情報すいとりまくってマーケティングにつかってるとか,あるいはそれを通じて国家機構に情報が流れてるとか,国家機構そのものがあらゆる情報を勝手に情報をすいとっていたみたいなパノプティコン問題みたいなのが気になってた.というのは,それがかなり巨悪っぽいのは分かるんだけど,実際のところどういう「実害」があるのだろうかとイメージするのはちょっと難しい.個人情報を勝手に吸い取ることの巨悪性が所与のものっぽくなってるんだけど,その理由がよくわかんなかった.わかんなかったんだけど,企業や国家と個人との関係っていう枠組みを導入したらちょっと分かってきた気がした.企業や国家が個人のいうこと聞かずに勝手に個人情報をつかうのは個人を尊重していない態度そのものであって,個人の尊重を第一の価値とする社会ではそういうの絶対許されないから,巨悪が所与っぽくなるのかと思った.