日記

例えば学校とか,「いじめ撲滅」みたいなの,無理だと思う.少なくとも1930年代後半くらいからは学校のいじめみたいなの今っぽい感じで行われてた印象あるし,いじめの主体が児童生徒でも教諭でも教育委員会でも,とにかくいじめが学校からなくなるみたいな感じは無理だと思う.なくなるまえに自分の寿命とかがやってくる気がする.

 

学校みたいな謎の空間に押し込められたら狂気っぽい人間と狂気っぽい社会で共同生活するの強いられる可能性は避けられないし,それなら,いじめなくすよりも,狂気っぽい人間や社会に直面して嫌になったらすぐ別の環境に移動できるようにするほうが根本的だと思う.

 

でもそれは日本の学校みたいなのがすごく全体主義的だからいろいろと難しいと思う.全体主義的なところが本質的な問題点だと思う.小学校嫌だから転校しましたみたいなのがレッテルぽくなるみたいなの,すごく田舎者社会だと思う.

 

べつに学校のいじめとか比較的どうでもよくて(だってもう自分は学校と関係ないし),社会や人間の狂気を消すのは無理だから,狂気に直面してもOKな感じにするほうが効率的,でもそこには田舎者の全体主義っていうもっと怖い強固な集団サディズムっていう壁がある気がするっていう話です.