http://kyotojs.doorkeeper.jp/events/10869

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 インターネットには構造的な文化的脆弱性があるように思う.その問題を日本国内における問題として考えるときには,感情の重視と,個人概念の成立っていう論点があるっぽく思ってる.
 

 インターネットは「情報通信ネットワークのネットワーク」で,インターネットの情報通信ネットワークとしての特徴はボトムアップ的にいい加減に構築されている多極分散性にある.だけど,インターネットとしてネットワーク化されている個々の情報通信ネットワークは,実はトップダウン的に,いろいろな意味で非常に厳密に構築されている.たくさんあるトップダウン型の厳密ネットワークどうしをネットワーク化するには,ボトムアップ的にやるしかないし,そのとりきめはいい加減にするしかなかった.だからインターネットは,インターネット全体としては,なんかよくわかんないけど通信できてるけどほんとは通信できないのがあたりまえだし通信できてうれしいねみたいな優しい文化のネットワーク.でも,インターネットを構成する個々のネットワークは,かなりミスを許さない感じの厳しい文化で絶対通信できますよね???みたいなネットワークだったりする.インターネットはこういう文化的な矛盾を構造的に抱えた存在.


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 それが問題になってくるのは,2000年代後半以降のモバイルインターネットの爆発的な拡大にある.モバイルインターネットは90年代以降のインターネットの歴史の中でおそらく最重要の事件だと思う.モバイルインターネットの拡大は,一次的にはいつでもどこでもインターネットできるようになることを意味するんだけど,二次的な意味での,情報通信の量と頻度そのものの爆発的な拡大があまりにも重大.

 

 なぜならばインターネットはそういう使い方を想定した設計になってない,いい加減なネットワークだから.モバイルの件は本当に予測不可能だったぽくて,まず日本政府が2000年代半ばまでに頑張ってつくっておしすすめた,中山間地域とかでのインターネットインフラの拡大政策は,もはやモバイルによるブロードバンドのインターネット利用の爆発的な普及によって,全く過去のものにされてしまって,マジで役に立たなくなりつつある.もっと重大なのはインターネットの根幹に関するいろいろな取り決めや制度が,モバイルインターネットの爆発的拡大によって「ほころび」つつあることで,最近のDNSやHeartbleedの問題は,直接これに関わるわけではないけど,同じ文脈にある.インターネットのインフラとしての堅牢性みたいなのは,マジでいつ崩壊してもおかしくないと言われている(もう崩壊してるのかもしれない).


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  そういう構造的な脆弱性が社会的に露呈していく過程を日本社会が受容できるんだろうかという問いがある.早い話が「インターネットなんてそんなもの」というか「インターネットを使えば情報が漏れたりうまく伝達できなかったりするのは仕方のないこと」っていうことを,「失敗を許せない社会」が受容できるんだろうかっていう話になると思う.その受容のためには,インターネットが直面しつつある現実をメディアの現代日本語が説明できるかっていうのが重要だと思うけど,Heratbleed問題のやつを「暗号化ソフトSSLに欠陥,悪用狙い攻撃相次ぐ」とか新聞の見出しに書かれてて,この見出しは何ら間違ったこと書いてないんだけど,何ら現実を表してもいない.

 

 

 

 

 現代日本語は現実ないしは現実の表現能力を喪失しつつあって,特に現実の中でも,「個人の感情」を表すことができなくなりつつある.それは戦後の現代日本文学が事実上壊滅しているからだと思ってるけど,いずれにせよ,いま個人そのものを主語にして日本語で感情を表すことはできるだろうか.個人が主語になっているようにみえて,じつは集団とか,集団としての個人とか,集団の中の個人とか,あるいは「集団ではなく個人」とかが主語にならざるを得なくなってて,つねに集団の影がある.そこを意識する事自体が日本語による論理的思考では極めて困難.個人の感情や,集団の影が落ちない個人そのものの尊重が十分になされなければ,日本語はこのまま集団の情念に支配され壊滅するし,インターネットには最悪の雰囲気が充満し,インターネットが管理社会的監視の場になるし(なってるし),個人の存在と尊重を前提とするグローバルな知識経済化と環太平洋の国際政治のなかでロクでもない感じになると思う.

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 インターネットはエモさをゲット・バックするのが渋いし,インターネットは,個人として生きる資質を伸ばす可能性を拡大するっていう研究成果が出ていて,国際会議で発表されています(おれの研究).インターネットはそういうふうに認識する感じで