文化庁が交付を撤回した補助金は何か?

 文化庁が「あいちトリエンナーレ」への補助金の交付を撤回した件は,たいへん興味深い.ちょうど,日本の地方においてどのようにして美術展覧会=芸術鑑賞機会が形成されるのかということを研究しはじめていたので,勉強がてら,あくまで自分のためにメモ書きを残しておくことにした.といっても,1時間程度しか調べていない内容である.

 先に書いておくが,筆者はまだ専門家ではない.また「あいちトリエンナーレ」への脅迫は許されないし,一連の展示はそのまま展示されてほしかった.今回の文化庁の対応もおかしい.そうした立場のもとで,下記のようなことを考えている.記事があんまり怖くならないように,いらすとやでかわいいキャプション画像を用意した(表現の自由).

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■その補助金とは何なのか?

 文化庁が「あいちトリエンナーレ」への交付を決定していた補助金(約7,800万円)を,交付中止とした.この問題の議論において,その補助金事業の性質を理解することは不可欠である.しかしながら,補助金の内容に触れている論者は,なぜか見当たらない.

 採択された事業名が表記されている新聞記事もあるが,事業内容には触れられていない.

あいちトリエンナーレへの補助金 文化庁が全額不交付決定 「申請手続きが不適当」 - 産経ニュース
東京新聞:トリエンナーレ補助金不交付 「愛知県の手続き不備」 文化庁方針:社会(TOKYO Web)
補助金不交付に抗議/文化庁に本村・井上・吉良氏ら

 なお,たとえばこれらの記事では,事業名にすら触れられていない(というか,ネットで読めるだいたいの記事がそうである).

脅迫→展示中止→補助金不交付「あしき前例」 不自由展 [「表現の不自由展」中止]:朝日新聞デジタル
東京新聞:萎縮の波 自治体不安 トリエンナーレ 補助金不交付:社会(TOKYO Web)

 下記の記事は事業内容に触れられているが.その説明の仕方は後で見るように不十分である(たぶん,触れているのは有料会員限定の部分).

「国が交付を予定していたのは文化庁の文化資源活用推進事業の補助金。地域が誇る文化観光資源の体系的な創成・展開▽文化による国家ブランディング強化▽観光インバウンドの飛躍的・持続的拡充などを要件に公募し、有識者の審査を経て4月に採択された。」

あいちトリエンナーレへの補助金を交付せず 文化庁発表:朝日新聞デジタル
 さらには,change.orgでは,アーティストを中心に補助金の交付中止の撤回を求める署名活動が行われ,9万人以上が賛同しているが,そこですらも,その補助金がどのようなものであるのかについては一切触れられていない.これらの活動・記事には違和感をおぼえる.なぜ核心部を見ないのだろうか?
キャンペーン · 文化庁は「あいちトリエンナーレ2019」に対する補助金交付中止を撤回してください。 · Change.org
「あいち」補助金不交付は、なぜ危険なのか - 高山明|論座 - 朝日新聞社の言論サイト


■その補助金

 さて,問題の補助金は,「日本博を契機とする文化資源コンテンツ創成事業(文化資源活用推進事業)」だと思われる.事業名や採択された補助金額から間違いないと思われるが,もし間違っていたらぜひご指摘願いたい.
 当該事業の内容は文化庁のサイトから閲覧できる.注目すべきは,事業目的と補助対象事業である.ここに,この補助金の特性が現れている.

日本博を契機とする文化資源コンテンツ創成事業(文化資源活用推進事業)の募集 | 文化庁

 内容を引用する.

事業目的

「日本博」の開催を契機として,各地域が誇る様々な文化観光資源を体系的に創成・展開するとともに,国内外への戦略的広報を推進し,文化による「国家ブランディング」の強化,「観光インバウンド」の飛躍的・持続的拡充を図ります。 

補助対象事業

「日本博」の開催を契機として,地域住民や芸・産学官とともに取り組む,地域の文化芸術資源を活用した文化芸術事業であって,観光インバウンドの拡充に資するもの。

 事業目的,補助対象事業のいずれも,観光インバウンドが強調されていることがわかる.
 さらに,PDFで公開されている募集内容をみると,上記の事業目的,補助対象事業に加えて,実施計画の要点の中に「観光インバウンドの拡充に資する取組であること」が明記されている.
 より重要なこととして,審査について,観光インバウンドに関する点だけが下線で強調されている.このことは補助金交付の審査の際にも,外国人観光客の誘致力が最も重要な評価ポイントとされていることを示唆している.

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 また,おなじくPDFで公開されている,当該補助金の実施計画書の様式(つまり今回愛知県が提出した申請書)をみると,2019年度の実施計画のなかに,観光インバウンドの拡充に資する取組という欄が設けられている.さらに事業の達成目標を数値で記載することが要求されるが,ここでは「参加者数の目標値」には訪日外国人数の記載欄が設けられ,また「観光インバウンド拡充の指標と目標値」を記入しなければならない.
 この補助金の交付を受ける上で,いかに外国人観光客を誘致できるかが重要となるかがわかる.

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 すなわち,この補助金の主要な目的は,観光インバウンドの拡充,つまり,外国人観光客を誘致することなのである.そしてそれが,この補助金が交付された地方公共団体自治体)に求められることなのである.一連の公募内容を見れば,最大の目的が外国人観光客の誘致による観光振興にあることが明らかである.文化芸術の振興それ自体のための補助金ではないのである.

■「日本博」という文脈

 こうしたことは,文化芸術に関する省庁が提供する補助金としては異色であるように思われる.部外者である筆者が一連の文書を閲覧すると,なぜ文化芸術で観光振興なのだろうかという疑問を抱かざるを得ない.だがそこにはおそらく,この補助金名に含まれる「日本博」がある程度関係している.

日本博 | 文化庁
 「日本博」は,文化庁が2020東京オリ・パラに向けて外国人観光客を地方に誘致するために実施されている,政府の決めた「日本の美」をコンセプトとした一連の事業である.資料を読めばわかるが,ある種の国粋的な事業である.

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f:id:kaiteki61:20191001002326p:plain だから「日本博」の文脈下で企画された今回の補助金は,文化芸術の振興ではなく,日本政府が決めた「日本の美」を表現する芸術作品を使って,外国人観光客を呼び込むことを目的としているのである.
 ちなみに「日本博」については,触れられている記事などを目にすることができなかった.当該補助金の事業内容のページを見れば明らかに不自然に「日本博」という言葉が挿入されているにも関わらず.
 さらには,憶測だが,今回の展覧会に名古屋市長などの公人・政治家が苦言を呈した一因は,日本政府が決めた「日本の美」を称揚する「日本博」の補助金をとっているのに「日本を貶める」ような作品を展示するのはおかしいではないか,という意識があるのかも知れない.そうしたロジックであるとすれば,筋自体は通る.

 ちなみに来年,国立新美術館で開催される「ファッションインジャパン展」なども,「日本博」の一部である(主催者).だれも気づかないと思う.筆者としては,国粋主義的政策の展示だと気づかずにこれを称賛したくはない.

f:id:kaiteki61:20191001004434p:plainファッション イン ジャパン 1945-2020 —流行と社会 / Fashion in Japan 1945-2020
ファッション イン ジャパン 1945-2020 —流行と社会|日本博 Japan Cultural Expo|縄文から現代まで続く「日本の美」

トリエンナーレという名の観光イベント

 すなわち,少なくとも補助金の性質から見れば,「あいちトリエンナーレ」は,イタリアのヴェネツィアビエンナーレ(Biennale di Venezia)や ドイツのドクメンタ(documenta)のような,純粋に芸術振興を目的としたり,その芸術の価値を議論したりするための「美術展覧会」ではないのである*1
 そうではなく,この展覧会は,「すでに価値があるとされている美術作品」を客寄せの装置=ショービジネスとして名古屋に集めて,そこに(外国人)観光客を誘致して地域経済を活性化させるための「観光イベント」なのである.極端に言えば,やっていることは,商店街の地域活性化のためにアイドルを呼んで歌って踊ってもらうのと同じ種類の催しである.
 しかし,多くの人は「あいちトリエンナーレ」を「美術展覧会」だと思っているし,その目的は観光振興ではなく文化振興だと思っている.これこそが,この問題をめぐる重大な認識の誤謬であると筆者には思われる.
 (念の為に言うが,筆者は「あいちトリエンナーレ」という事業の構図を整理したいのであって,この展覧会が芸術的に無価値だといいたいわけではない.その価値判断はこの記事ではしない)


文化庁はなぜ交付撤回したか

 こうした補助金を交付した文化庁は,その交付撤回の理由を,次のように述べている.

補助金申請者である愛知県は,展覧会の開催に当たり,来場者を含め展示会場の安全や事業の円滑な運営を脅かすような重大な事実を認識していたにもかかわらず,それらの事実を申告することなく採択の決定通知を受領した上,補助金交付申請書を提出し,その後の審査段階においても,文化庁から問合せを受けるまでそれらの事実を申告しませんでした。

あいちトリエンナーレに対する補助金の取扱いについて | 文化庁
 この「来場者を含め展示会場の安全や事業の円滑な運営を脅かすような重大な事実」を,多くの人はテロ予告や脅迫のことであると考えている.そして,それを事前に予期することは不可能であり,あまりに不条理である,理解不能であると批判している. 
 しかし,「あいちトリエンナーレ」が「美術展覧会」ではなく「観光イベント」だと理解すれば,別の解釈が可能となる.つまり,「来場者を含め展示会場の安全や事業の円滑な運営を脅かすような重大な事実」とは,「テロ予告や脅迫」ではなく,「テロ予告や脅迫が行われることが容易に予想される作品が展示されること」と予想される.

■交付を撤回するロジック

 もしこれが「美術展覧会」ならば,そのような作品であっても展示すればよいし,展示すべきである,というロジックは成立する.
 しかし「観光イベント」ならば.そうした作品を展示するつもりならば,予想されるテロ予告や脅迫に対する特段の安全対策を講じることが常識的に考えて絶対不可欠であり,それにも関わらず,実行委員会はそれを怠った,というロジックがここに成立する.
 むろん筆者は文化庁の官僚ではないので,その内実はわからない.しかし少なくとも文化庁は「あいちトリエンナーレ」を外国人観光客を誘致するための「観光イベント」として捉えているのだから,後者のロジックで思考することに,無理があるとは思えない.後者のロジックであれば,文化庁が実行委員会を批判し,補助金の交付に物言いをつけること自体は(全額不交付にするか否かは別の問題としても),筆者にはそれなりに自然なことと理解することができる.
 おそらく多くの人は,今回の補助金を「文化庁が,芸術文化を振興するために与えた補助金」だと理解していると思われるが,そうではない.この補助金は,「文化庁が,すでに振興されている芸術文化を使って外国人観光客を呼ぶために与えた補助金」なのである.この認識のズレに,文化庁の対応の「不可解さ」が生じた鍵があると,筆者には思われる.

文化庁への批判

 このように考えると,先のchange.orgでは以下のように批判されているが,やはり筆者には部分的に理解しがたい内容を含んでいる.繰り返すが,筆者は今回の文化庁の対応には問題があると考えているが,いま見られる文化庁に対する諸批判は,今回の問題の本質を捉えていないように思われる.

キャンペーン · 文化庁は「あいちトリエンナーレ2019」に対する補助金交付中止を撤回してください。 · Change.org

そもそもいったん適正な審査を経て採択された事業に対し、事業実施中に交付を取り消すことは、国が該当事業のみを恣意的に調査したことを意味します。

→ 補助金というのはそういうもので,申請書の内容と実施内容に著しい乖離があったり,実施内容に大きな不備があれば補助金の交付を撤回するのは当然である.また,補助金を交付した事業に何か問題が発生したら,結果的に撤回するか否かは別としても,それを判断するために,その事業について調査するのは当然であろう.それを検閲と表現するのが妥当だとは思えない.

予定どおりの実施が困難になった「表現の不自由展・その後」の支出は約420万円にすぎず、約7800万円の補助金全額の不交付を根拠づけるには全く不十分です。

→ 文化庁は,申請書によればその支出を切り分けることができないから全額不交付としたと述べている.愛知県が提出した申請書の中身は見つけられなかったので,その主張の妥当性はわからない.ただ少なくとも筆者は,今回の件で全額不交付は重すぎるとは思うので,この点は同意である.文化庁は最低でも,「全額不交付」とした理由を,今後より詳細に説明すべきであろう.

報告の有無についても、通常の助成金の過程では、申請者と文化庁双方からの報告や聞き取りが前提となります。今回も、文化庁は騒動時に愛知県に問い合わせをしていますし、さらには報道が過熱したことからも、騒動については周知の事実であったと考えます。

→ 問題は騒動が起きる前にあったのだと思われる.つまり文化庁は,観光イベントである本展覧会に,騒動が起きると分かりきっている作品を展示して,かつ必要な特段の安全対策を講じなかったことを問題としているように思われる.

その騒動から展覧会が中止になり、事業の継続が見込まれなくなった、との理由もあまりに一方的ではないでしょうか?展示中止を迫った中には市長などの公人も含み、そして過熱したのはテロ予告や恐喝を含む電凸などです。 作品の取り下げを公人が迫り、それによって公金のあり方が左右されるなど、この一連の流れは、明白な検閲として非難されるべきものです。

→ 確かに公人も作品の取り下げを迫ったが,おそらく文化庁が指摘した問題は,公人の発言ではなくテロ予告や脅迫の方である.公人の発言は明らかに圧力ではあるが,公人は文化庁の人間ではない.公人の発言は文化庁の問題ではなく,公人の問題である(元東京芸術大学学長である文化庁長官の発言ならともかく).また,文化庁が公人の発言に屈したから交付を撤回した,という解釈は,そうである蓋然性は否定しないが,現状では勇み足ではないか?(というか,このパラグラフは文意不明である……).

■「観光イベント」だと表明すべきでは?

 もし,今回撤回された補助金が,日本博や「文化資源活用推進事業」ではなく,純粋に文化芸術の振興を目的とした補助金である「文化芸術振興基金」であれば,それは検閲,あるいはそれに準ずる,文化芸術の表現に対する国家的な制限や圧力だと,明らかに言える.

芸術文化振興基金 | 独立行政法人 日本芸術文化振興会
 しかし今回の「あいちトリエンナーレ」は,美術展覧会の姿をした「観光イベント」として補助金申請が採択されているのである.
 さらには,その補助金に申請書を出した「あいちトリエンナーレ」実行委員会も,それを承知の上だったはずである.「あいちトリエンナーレ」は自ら,開催目的のひとつに「地域の魅力の向上」を掲げており,これは観光振興を意味として含んでいる.

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開催・企画概要 | あいちトリエンナーレ2019
 しかし「あいちトリエンナーレ」の実行委員会は,自らの催しが本質的に「観光イベント」であることを,あまり表明しない.あるいは少なくとも,自らを「観光イベント」と位置づける補助金によって開催されていることをあまり表明しない.だからみんな,「あいちトリエンナーレ」を「美術展覧会」だと思って訪れるし,今回の問題も,「美術展覧会」をめぐる問題として扱われるのである.
 トリエンナーレに参加したアーティストたちは,少なくとも「あいちトリエンナーレ」が採択された補助金が「観光イベント」のための補助金であることを理解していたのだろうか?それを理解せずに出展し,文化庁を批判しているのだとしたら,筆者にはとても滑稽な構図にみえてしまう.
 実行委員会は,自らの展覧会が,少なくとも政策的・行政的には「観光イベント」であることをもっと表明すべきだったし,表明すべきである.

■より本質的な「表現の自由」の問題

 繰り返すように「あいちトリエンナーレ」は,外国人観光客を集めるために「すでに価値があるとされている美術作品」を並べた「観光イベント」である.本質的な問題は,そのような「観光イベント」にしなければ,地方では「美術展覧会」が開催できないという構図・状況にある.
 つまり,後から文化庁が物言いをつけることが,「表現の自由」を損なっているのではない.はじめから外国人観光客向けの「観光イベント」にしなければ美術作品を展示できないように補助金が設計されていることが,私たちの表現の自由を,あらかじめ損なっているのである.そこにこそ,本質的な意味での「表現の自由」の問題があるのではないか?
 問題は,文化庁による「補助金の交付の仕方」にあるのではない.そうではなく.そもそも文化芸術作品を客寄せの装置とするような「補助金の設計の仕方」にある.

■文化芸術基本法

 では,なぜこうなってしまったのか?
 おそらくそれは,文化芸術基本法にある.そもそも文化庁は文化芸術基本法の規定を受けて,それに必要な施策を講ずる文部科学省の外局である.文化芸術基本法は,平成13年に交付された文化芸術振興基本法が平成29年に改正されてできた法律だが,その第二条にはこのような記載がある.

文化芸術基本法(改正 平成二十九年六月二十三日)
第二条
文化芸術に関する施策の推進に当たっては,文化芸術により生み出される様々な価値を文化芸術の継承,発展及び創造に活用することが重要であることに鑑み,文化芸術の固有の意義と価値を尊重しつつ,観光,まちづくり,国際交流,福祉,教育,産業その他の各関連分野における施策との有機的な連携が図られるよう配慮されなければならない。

文化芸術基本法(平成十三年法律第百四十八号)改正 平成二十九年六月二十三日 | 文化庁

 ここでは,文化芸術を観光のために使うことを法的に求めているのである.そしてこの記述は,改正前の文化芸術振興基本法にはない.というか「観光」という単語すら出てこない.

文化芸術振興基本法(平成十三年法律第百四十八号)(平成十三年十二月七日公布) | 文化庁
 つまり「観光イベント」としてでなければ地域的な美術展覧会が開催できないという構造が,文化芸術基本法のレベルで政治的に形成されているのである.なぜ観光庁経済産業省ではなく,文化庁が文化芸術を商品化しているのか?まさにこれこそ国家政府が文化芸術を制限する「表現の不自由」ではないか?

■表面的な「表現の自由」が叫ばれている

 繰り返すが,筆者は「あいちトリエンナーレ」への脅迫は許されないと考えるし,文化庁による交付金全額の交付撤回は問題だと考える.さらにその背後には政治的な圧力がある程度働いているとも憶測する.
 だが,それをめぐって多くの人々が行っている批判には,問題の本質を捉えていないようなもどかしさを感じる.さらには,補助金の交付・不交付の問題なのに,その補助金がどのようなものかを,誰も,ろく議論していない粗雑さに違和感をおぼえる.筆者がもっとも理解できないのはそこである.
 たぶん,今回の補助金不交付の問題は,これだけ問題になれば,補助金の全額不交付は部分的に撤回されそうな気がする.しかしそれで,補助金の内容も確認していないアーティストや美術愛好家たちが,ごく素朴に「表現の自由」が守られたなどと勝鬨をあげるのかと思うと,正直なところ,いったい「この人たちのいう『表現の自由』って何なんだろうか?」と,暗澹たる気持ちになった.
 我々の「表現の自由」は,すでに政策的にあらかじめ損なわれている.我々は,もし今回,補助金不交付が撤回されたとしても,すでに文化芸術やそれが展示される空間や地域を商品化して外国人観光客の誘致のための装置とするような社会を生きているのである.そこにこそ本当の「表現の自由」の問題がある.
 あらかじめ損なわれている「表現の不自由」の手のひらの上で,ショボい「表現の自由」を勝ち取ったと喜ぶ滑稽なダンスを,俺は踊りたくない.

 

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 蛇足ながらさらにいえば,筆者は,特に地方では,文化芸術を観光客誘致の商品や装置にしなければ美術展覧会が開催できない,という政策的な「表現の不自由」は,必ずしも絶対悪だとは考えていない.むしろ日本は欧州と比較して,文化芸術に対する社会的な支援の公的・非公的な制度が進んでいないとされるが,そうした日本の現状にあっても,文化芸術を客寄せ装置にせざるを得ない「不自由」によって,人口的・経済的に条件の不利な地方においても美術展覧会を開催することができるという,ある種の「自由」が地方で成立するという解釈が可能ではないかと考えているからである.そしてそのような,ある種の不自由と自由の相克とバランス,より専門的に言えば,アイザイア・バーリンの言う「消極的自由」の意味での「不自由」=文化芸術の観光客誘致の装置化と,「積極的自由」の意味での「自由」=美術展覧会の開催とは,本質的に常に相克の関係にしかなり得ず,そのバランスの中で,日本の地方において美術展覧会という芸術鑑賞機会が地域的に生産されていくのかもしれない.いずれにせよ「展覧会とは何か?」ということを,文化芸術の人間たちが自明としてきた枠組みに対して,批判的に考え直すことが必要だと考えている.こうした思考をするなかで,今回の事例は勉強になったというか,いいケーススタディである.

*1:すみませんヴェネツィアドクメンタが本当に純粋に芸術振興を目的としていて観光振興目的になっていないとは言い切れないので,この断言は少々危険.