博士課程でやらなくてよかったこと

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 博士課程でやるべきことの話は多いけど、やらなくていいよ的な話は少ない気がする。

 「これはやらない方がおすすめ」ではなくて、ただの思い出話です。社会があまりに終わってるから記憶のなかを生きることにしたんだ。そんなことはないです。あと「やってみてイマイチだったこと」と「はじめからやってないこと」が混在してるので適宜アレしてください。

 

前提

  • 国立大学の理科系の組織にある人文社会科学系の大型研究室にいた。
  • 進路は大学教員一択で、3年で学位取得。博士号が「足の裏の米粒」の時代は概ね終わっている気がしていますがどうですかね。起業とか会社・機関への就職など希望進路がちがうと別の物語になると思う。
  • 修士で出るひとには当てはまらない気がする。
  • 学振はDC2補欠落ち(マジ最悪に中途半端な結果だったと思う)
  • 読み返して思ったけど、下記のことは「異常なまでのめんどくさがり」という自分の欠陥に起因する部分も多い気がしてきました。すると、ちゃんとした皆さまが読む価値ないのでは?

 

D3のときの記事→  毎日3時間だけ書く - 快適な生活

 

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やらなくてよかったな〜

  • 学会で人脈作り、名刺配って挨拶まわり→メジャーな雑誌に論文が出れば何もしなくても名前は知られるし、興味を持ってくれる人が出てくる。逆に論文が出てない院生の名前なんか誰も覚えない。いまでもお世話になってる他大学の教授に東大前駅のホームで「ていうか君はまだ論文載らないの?論文ない院生って透明人間だよね」って言われた。
  • 学会でたくさん発表する→斯学では学会発表は業績にならないので。ていうか途中から顔すら出さなかった。テニュアになってからは旅行・同窓会・情報交換・委員会の仕事のために出てるけど、いまでも発表はあまり興味ない。発表聞くなら論文読めばいいし、発表するなら論文書けばいいじゃんって思う。
  • 学外のいろんな勉強会や研究会に出る→特に重要な1つに出ればよくないですか。逆にそこには継続してきちんと顔出して、いろいろ裏方もやって、運営に貢献した方がいい。友達グループじゃなくて、ちゃんとした研究者が出てるところね。人脈は学会ではなく、ここで作る。
  • 毎日ひたすら長時間研究しまくる→そんなの3年間も続くわけないっしょ。えっ続くの?すご……………
  • SNSで本名アカウントで情報発信→だれも興味ないっしょ
  • 一般向けのメディアで記事書いたり企業とコラボして仕事したり→論文書けばよくないですか、、
  • バイト→同上。ていうかあんまバイトして稼いでると研究できなくなって学位取得や就職が遅れて生涯賃金で損すると思いますが、、
  • 研究室の雑務を回避する→よく雑務は回避しろと言われるが、大学教員になってからも研究を続けたければ、院生のうちに研究時間を確保しつつ適当に雑務をこなすトレーニングしといた方がいいと思う。
  • すばらしい論文を発表する→凝りに凝った名作論文は身分が安定してから作ればいいと思う。院生のうちはメジャー雑誌から論文を出すこと自体に意義がある。限られた時間でどこまでやれるかも研究者としての重要な資質だと思う。
  • 指導教官のお誕生日会→ボスは人格者だったので院生たちが自発的にやってたんだけど(いい話)、無視させていただいてた。だって指導教官への最大の恩返しは誕生日を祝うことではなく、自分がとっとと一人前の研究者になることでしょ……と突っ張ってたけど、いま考えればべつに1日くらい出たって変わんないよな。すまん。こんど出るわ。
  • 自分の研究内容についていろんな人に意見を聞く→どうなんだろう。卒論や修論じゃないので、あんまいろんな人に意見聞いても、いろんな意見が出てくるだけだと思うが、、、。ていうか博士課程で学術的に説得せねばならぬ相手って、じつは査読論文の編集者・査読者と学位審査の副査くらいなので(主査=指導教官は、じつは実質的に審査される側)、その人たちがどう考えるかを考えた方がいいと思う。
  • 指導教官に研究指導してもらう→名目はともかく、博士課程はセミプロなので、少なくとも自分の研究については自分が指導教官に指導できる必要があるじゃん。指導を乞うてもたいしたことしてもらえないと思う。逆に指導教官に指導してもらってよかったのは、そもそも研究者なり大学教員とは何なのかみたいな心がまえとか、学会の細かい情報とか、うまいラーメン屋の所在とか
  • 本の執筆に協力する→自分以外の誰かが編著者である本の第7章の執筆に参加するとか。そういう本よくあるじゃん。読者的には役立つんだけど、でも、本棚にある本の第7章の執筆者の名前とか誰も記憶してなくないですか? このへんは価値観いろいろだろうけど、わたくしは他人の本の一部を書いてあげてるうちに自分の研究できなくなっちゃった人をたくさん見てきました。まあ院生にとっては、自分の書いたものが本になるってすごい魅力的に見えるんだけどな、、、、自分は幸運なことに院生のときこういう「おいしい話」は来なかったけど、当時は「クソッ何で俺にはああいう話が来ないんだ!(理由: 人格に難があるから)」って思ったもん。までも人それぞれか。人それぞれかとか言ったらこのブログ記事存在意義ないのでは?