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放火の高揚感

放火した女子中学生が放火すると高揚感あってよかったみたいなの言ってるの,理解できないとか頭おかしいとか書かれてて,そういうコメントする人々はだいたいは異常者枠にいれておけばいい感じだけど,しかし,すごく怖い感じだった.冷静に考えたら,他人の家とか,仮に燃やしてもOKで,そんで勢いよく燃やしちゃったら,めっちゃ盛り上がるって,気持ちわかると思う.高揚感とかは警察誘導的にあてがわれたコトバだろうけど,放火したら,高揚感のようなものは確実に得られておかしくないと思う.運転免許持ってないけど,酒のんで最高の気分になって車運転したら最高に楽しいと思う.泥酔状態で運転したら楽しいに決まってるだろ冷静になれ.だいたいの犯罪とかする人,以前その犯罪とかした人々とかに対して,その犯罪とかする気持ちがわからないとか,そういう考え方するっていう印象がある.いじめとか殺人とか.自殺するなんて信じられないとか,自殺する勇気があればなんでもできるみたいなの,よく聞くけど,聞くたびに,ああこのひとは軽めに自殺する可能性高い側の人間だなって感じる.もちろん本当に殺人におよぶときの気持ちがどんな程度のものかは知りえないけれども,十分に想像することはできると思う.それとも,ああいうコメントをする人々は想像しない,できないんだろうか.自分が殺人する様子を想像できる人間と,それを想像したことがない,あるいは,想像できない人間とだったら,後者のほうが怖いと思う.なんていうか,田舎者的で,殺人者や放火魔や新宿のレイシストと自分は同じような人間で,同じような考え方を共有している部分があるっていうの,認めるのはそんなに恐ろしいことではない.だって同じような人間だけど決定的に別の人間なんだから,同じような考え方を共有している部分があっても,全体としては全然違うに決まってるんだっていう感じ.殺人者と考え方を部分的に共有していることを認めたら,さも自分の考え方全体が殺人者と同じであり,さらに自分そのものが殺人者と同じになってしまうというような枠組みが,放火する高揚感が理解できないみたいなコメントへのつながり方だと思う.それは同質性がめっちゃ所与な感じになってる,極めて田舎者的な見方だと思う.そういう人間がいちばん怖い.自分が最低のクズ野郎と本質を部分的に共有しているっていうの,認めてからが本当の自分探しロードのはじまりだと思う.放火したら高揚感得られるに決まってるだろ.冷静に自分の心を見つめてほしい.