文章について書いた

「文章力」みたいなのは存在しなくて,あるのは無数の「文章のコード」のみだと思う.コードだけが存在する.こういう状況ではこういうスタイルの文章を書かなければいけないっていうコードが,あらゆる面に,あらゆるレイヤーで存在するだけだと思う.「いい文章」を書きたかったら,その状況でのいい文章のコードに合わせた文章を書く以外に方法はないと思う.自分の「いい文章」観は不要だし,自分のいい文章観が入るとコードとコンフリクトを起こして,いい文章からそれだけ離れる.そのパターンは幼稚だと思う.コードを無視しようとする文章はコードから無視される.コードを知り,学び,それに沿う文章を書けるようにすることが重要なトレーニングだと思う.

それとは関係ないけどもっと指先を使って文章を書きたい.指先で考えた文章はPCで書いたやつとは違う.まじめな文章を書くときは,手書きで構造を書いて,PCで細部を書いて,プリントアウトしたやつに手書きで書き込みまくって,PCで反映させて,それをプリントアウトして…っていうのを繰り返す.気まぐれでこの間に全部手書きで書き直すというフェイズが介入することもある.手書きの時は万年筆をつかってて,書き込みまくるときと手書きで長文一気書きするときでは使う万年筆が違う.手書きで長文一気書きするのは,文章が頭の中で構造化されているけどPCで書くのに限界を感じた時で,なんで限界を感じるのかよく分からない.おそらく単に飽きているだけだと思う.一本の万年筆を使い込むみたいなの憧れたけど,お気に入り万年筆が数本あって気分に合わせて使い分けられるみたいなのの方が,一気書きには便利かもしれない.鉛筆もいい.鉛筆はデッサンをやる時みたいにカッターナイフで芯を大きく出してつかう.そうすると万年筆みたいに寝かせて力を極力縮小してつかえる.鉛筆にハマる機運は感じてる,でも不便だから万年筆に負けてると思う.檀一雄の「火宅の人」の映画で,檀一雄は万年床のそばの台の上で鉛筆で原稿を書いてた.あれはいいと思う.旅先ではデュオフォールドっぽい万年筆つかってるぽかった.それもいいと思う.

とにかく何でもいいから書くことが自分にとって大切だと思う.PCで書けなかったら手で書けばいいし,万年筆に飽きたら別の万年筆にすればいいし,鉛筆でもいいし,紙も横書き原稿用紙に飽きたら3Mのふせんとかに書いてる.たまに外に出て外で書くこともある.最近は仕事内容毎に用意しているコクヨ測量野帳に細かい字でびっしり書いてて,それは後で閲覧が楽なのもあるけど,単にびっしり書くと壮観で気持ちいいからっていうのが大きい.一貫したスタイルは要らないと思う.一番重要なのは書きあがったデータなり何なりだと思う.それが作れれば途中はどうでもいいとおもう.スタイルごとに文章に差が出るのは避けられないけれど,どうせ最後には結合したあとに何度も何度も添削しなおすから,元の文章の差には意味がない.PCで文章書くときも,だいたいはいちばん使いやすい添削用フォーマットのpages(iWorkのwordみたいなの)を使うけど,今書いてるこれみたいにCotEditor(メモ帳)を使ったり,Twitter for Macのpost画面をつかったり,はてブロの投稿画面をつかったりする.昔はStickiesをよく使った.どれでもいいと思う.真面目な文章は最終的に添削用フォーマットにコピペして統合する.

書きまくってたら考えを文章でメモするようになった.前は授業のノートみたいな箇条書きとか図示とかが多かったけど,最近はガチ文章でメモするようになった.どっちがいいのかは知らない.今は完全文章メモのほうが考えを正確に表して正確なまま保存できるような気がしている,というか単に文章にしないと気が済まない感じがする.単に前のスタイルに飽きただけだと思う.スタイルは変えてもいいから根本の部分を続けることが大切だと思う.特定のスタイルに固執すると背骨とかに負担がかかってきて体内が気持ちわるくなって発狂するから,その前に兆候を感じ取ってスタイルを変えるほうが重要.

はじめの話にもどって,コードを効率的に習得する方法を一つ知ってる.それはそのコードに最もよく適合していると思われる文章,つまり良い文章をたくさん熟読することなんだけど,それができれば苦労はしない.最近2年間くらいで気づいたけど,人間は文章読んでるようで読んでない.自分の書いたガチな文章ですら意外と読んでない.一字一句,文字通り一字一句を集中して熟読する作業が必要.具体的な方法を幸運なことにここで提供できる.英語の苦手な中高生が英文にスラッシュとか矢印とかアンダーバーとか書き込みながら読んでいくやつを,日本語の文章でやるとすごくいい.文章の構造をマクロからミクロまでひとつひとつ書きこんで確認しながら読む.マクロっていうのは章や項・目の順番と関係で,なんでこういう要素がこういう順番になってるのかを書き込む,ミクロっていうのは各パラグラフの内部構造とパラグラフ間の関係性で,ここでは個別の修辞っていうか言葉の使い方みたいなのを見まくる感じだとおもう.