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日記書いた

いま毎日が日曜日みたいな感じの生活してるんだけど,なんていうかそれは,なんていうかっていうか,言うまでもなくそれは幸運の積み重ねであって,とりわけ今日の毎日の日曜日への到達に深く関わる幸運は,まぎれもなく卒業論文の存在っぽい.

卒業論文,すごい雑な感じで,学部にいたときは勉強とか研究とかするスタイルの雰囲気ではなかったので,なにもしなかったんだけど,当時なぜかゼミ長に任命された結果として,2年生頃から4年生の卒業論文がどんなもんなのかっていうのをみて,卒業論文っていうのは,いまから思うととんでもないけど,凄まじく高い頂に登るような活動の結果得られるもんだと思ってたんだけど,2年生のとき4年生の卒業論文みたら,なんていうか,まあ,超ショボくって,この人たちマジでアホなのかな………ってなった.

これはゼミ合宿とかいう活動の時にみたので,その夜は,一緒に卒業論文のできばえを目にした友達と,おいどうやら卒業論文って超レベル低いっぽいぞって盛り上がったのを覚えている.4年生のすべての発表に積極的な説教をしたくなったという感想を共有した.その友達は最終的に,卒論を構想→データ取得→解釈・執筆を半月で終わらせて卒業して,いまオーストラリアかどっかにいる.

思えば,底辺高校出身の自分にとって都内の私立中堅大学っていうのは雲の上の大学で,すごい頭のいい人たちに囲まれるんだろうなと思っていたら,とにかく全然そんなことなくて,「社会はやばいぜ」って気づく日々だった.卒業論文のやつもそういう流れの一つだったと思う.

とにかくこの学科の卒業論文はショボい.ショボいんだけど,ショボいゆえに,あんなゴミみたいなやつ作るのに必死になって時間使うなんて人生の無駄遣いなので,それを回避する方向に動いてて,それはやや困難だった.賢い人はそんな風に考えないでストレートにやるんだろうなといま気づいた

最終的に,当時の自分の社会的な問題意識を背景にしながらメディア研究みたいなのやったんだけど,メディア研究っていうのは自分のいたとこの卒業論文では誰もやってなかった.でもメディア研究っていうのはやってはいけないのではなくて,課題設定上の妥当性があれば当然認められるし,わざわざメディア研究したくらいだから課題設定上の妥当性とオリジナリティがあるので,普通に合格した.そんでお師匠がなぜか異常にこれを気に入って,最優秀論文に選んだよみたいな電話をおれの携帯にかけてきた.

最近気づいたけどこれは一種の「主席」なのかもしれないけど,いずれにしても,あんな程度の低い卒業論文で最優秀になるなんて,学部というのはロクな教育機関ではないのかもしれないな,という感想を強く抱いたのを覚えている感じ.

とにかく2年生の時にみた4年生の卒業論文はマジでレベルが低くて(3年生の時にみた4年生の卒業論文はさらにやばかった),特に本人が興味を持っているわけでもないことについて,それっぽい用語をもってきて,自分たちが昨年に目にしたのと同じ,根本的に間違っているデータ取得方法をもう一度実施するみたいな感じで,マジでやばかった.

あの人たちは,自分で見たり聞いたり読んだりしてゲットした知見で,自分の興味を作って,それを追求する,みたいな「遊び」が存在することを,知らなかったのかもしれない.当時のおれがやってたのは,マスメディア批判っていう完全なる子どもの遊びであって,子どもの遊びなので,先輩たちの意味不明なデータ取得方法を真似する意味がなくて,自分でデータ取得方法考えた感じだった.それを考えて実行するのも遊びの一環だったっぽい.

そういう遊びを思いついたのは,まあ,2年生になった頃までには,illustratorとか使いつつ中学生いらいのインターネットメディアアート気取り活動とかやりつつ,ネット企業で適当に働いてたりしてたっていうのが多分あって,インターネットで人生をカンニングしてたっていうのはあるけど,ライフコースとして運要素かなり大きくて,少なくとも自分にとってゴミみたいな卒業論文書かないスタイルのライフコースになったのは偶然の産物としか思っていない感じ.

卒業論文っていうのは身内しか読まないので,当然,社会的にはせいぜいチラ裏日記程度の価値しかないのは当然.それゆえに自分が楽しめる遊びじゃないとやる意味ないよねっていう感じ.卒業論文はなんか最優秀とか評価されたけど,自分がショボい母集団の一員だってわかってるのでうれしさとか特になかったし,卒業論文なんかの完成度と作成者の知性とのリンケージの程度なんてたかが知れてるとわかっていたし,授業とか全然出てなかったので普通に留年した.

そのあとなんだかんだあって毎日が日曜日みたいになった.このまえの夏,もはや原型をほとんどとどめていないくらいまで何十回も書きなおした卒業論文が査読誌に載って刊行されて,脱チラ裏みたいになって,自分の卒業論文,一応,自分のライフコース展開のキーになる感じの位置づけなので,当時のこととか思い出して,あーマジで4年生の卒業論文はゴミだったなー…と思い,当時の4年生たちに感謝したりした.癒し系論文です.いまよりもさらに遥かにバカだった頃の自分を思い出した日記でした.とにかくちゃんと遊んでいたら道がひらけたという感じです.

むろん,あんな子どもの遊びを受け入れてくれたお師匠が大変に偉大で感謝しきれないし,そこが最大の幸運だった,というのが本質なんだけど,まあそういうハナシはこういうところでするもんではないので,

 

卒業論文ってもしかしたらセンシティブなやつかもしれないと思ったので念のため付記しようとおもった.ゴミみたいな卒業論文っていうのは,自分自身が本当にやりたい,解明したいという問いに取り組もうとしていない,借り物のやつの事を指しているっていうのがまずあって,そのうえで,もうひとつ,仮にゴミみたいな卒業論文を生み出したとしても,その卒業論文の完成度と卒業論文作った人の知性との間にリンケージはあんましなくて,知性のない人間が完成度の高い卒論をつくることは当然あるし,逆もあるっていう当たり前のこと書いておいたほうが人道的な気がしてきた.